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鹿児島地方裁判所 昭和44年(行ウ)3号 判決

昭和四四年(行ウ)第三号、第六号事件原告 山下利史

右訴訟代理人弁護士 堂園茂徳

昭和四四年(行ウ)第三号事件被告 下甑村村長 橋口慶可

昭和四四年(行ウ)第六号事件被告 下甑村教育委員会

右代表者委員長 中尾渡

右被告両名訴訟代理人弁護士 吉田稜威丸

主文

一、昭和四四年(行ウ)第三号事件について

被告下甑村村長が原告に対し昭和四三年一二月二四日付でなした下甑村教育委員会委員を罷免するとの処分を取消す。

二、昭和四四年(行ウ)第六号事件について

被告下甑村教育委員会が原告に対し昭和四三年一二月二一日付でなした下甑村教育長を免職するとの処分を取消す。

三、訴訟費用のうち、原告について生じた分は両事件を通じてこれを二分し、その各一宛を各被告の負担とし、各被告について生じた分は当該被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、昭和四四年(行ウ)第三号事件について

原告

主文第一項と同旨、および「訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。

被告下甑村村長

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

二、昭和四四年(行ウ)第六号事件について

原告

(主たる申立)

主文第二項と同旨、および「訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。

(予備的申立)

「被告下甑村教育委員会が原告に対し昭和四三年一二月二一日付でなした下甑村教育長を免職するとの処分は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。

被告下甑村教育委員会

「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二、当事者の主張

一、昭和四四年(行ウ)第三号事件についての原告の請求原因

(一)  原告は、昭和四〇年一二月、被告下甑村村長(以下「被告村長」という)から鹿児島県薩摩郡下甑村教育委員会の委員(以下「委員」という)に任命され、その任期の終了後引続いて、昭和四三年九月三〇日、同委員に再任されたものであるが同年一二月二四日、被告村長は原告に対し、同委員を罷免するという処分(以下「本件罷免処分」という)をし、同月二六日到達の書面でその旨原告に通告して来た。同書面によれば、本件罷免処分は地方教育行政の組織及び運営に関する法律第七条第一項にもとづいてなされたものであることが明らかである。

(二)  しかし、原告には同条同項に定めてあるような罷免事由はないから、本件罷免処分は違法である。

よって、原告は本件罷免処分の取消しを求める。

二、昭和四四年(行ウ)第六号事件の原告の請求原因

(一)  主たる申立の請求原因

(1) 原告は、昭和四〇年一二月、被告下甑村教育委員会(以下「被告委員会」という)から、鹿児島県薩摩郡下甑村の教育長(以下「教育長」という)に任命され、昭和四三年一〇月一日、同教育長に再任されたものであるが、同年一二月二一日、被告委員会は原告に対し、同教育長を免職するという処分(以下「本件免職処分」という)をし、同月二三日到達の書面でその旨原告に通告してきた。同書面によれば、本件免職処分は原告について地方公務員法第二八条第一項第三号に定める「その職に必要な適格性を欠く事由」があるものとしてなされたものであることが明らかである。

(2) しかし、原告には教育長としての適格性に欠けるところはないから、本件免職処分は違法である。

よって、原告は本件免職処分の取消しを求める。

(二)  予備的申立の請求原因兼主たる申立の予備的請求原因

(1) 第二の二の(一)の(1)と同旨

(2) しかし、本件免職処分は次の理由により無効であり、仮に無効とまでいえないとしても違法な処分として取消さるべきである。

(イ) 被告委員会は原告を含めて五人の委員をもって構成する合議体であるが、被告委員会の会議の招集手続を定めた下甑村教育委員会会議規則第四条によれば、被告委員会の会議の招集は、「会議の日時、場所、会議に付議すべき事案などをあらかじめ各委員に通知して行なう」こととされており、右規定にもとづき、被告委員会の会議の招集通知は、原則として会議の一週間前までに文書によって、緊急を要する場合でも各委員が会議場に出向くに要する時間等を考慮し、遅くとも会議の前日までにする慣例であった。

ところが本件免職処分の議決がなされた昭和四三年一二月二一日午後三時からの会議の招集通知は、当時被告委員会の委員であった大毛直幹委員に対しては全然なされておらず、また、原告に対しては前記の慣例を破り開会時刻の切迫した同日午後二時三〇分頃「本日午後三時から手打の新栄館で会議を行なう。」旨口頭で連絡したに過ぎない。ところで、同期日の議題は後記の被告委員会の主張のように教育長である原告の処遇に関するものであったのであるから、できるだけ全委員が出席できる期日を指定して慎重に審議すべきでこそあれ、別段緊急に会議を招集する必要はなかったはずである。したがって、大毛委員に対する招集通知を欠いた点はもとより、原告に対して会議の直前に通知した点もまた被告委員会会議規則第四条に明らかに違反するものというべきである。(結局、本件免職処分の議決は、大毛委員および原告欠席のまま残る三委員のみによってなされたのである。)

以上のとおり、昭和四三年一二月二一日午後三時の被告委員会の会議の招集手続には明白且つ重大な瑕疵があるから、同期日になされた本件免職処分は無効であり、仮に、無効でないとしても違法な処分として取消さるべきである。

(ロ) 地方公務員法第四九条第四項によれば、任命権者が職員に対しその意に反して不利益な処分を行なう場合には、処分事由説明書に「当該処分につき人事委員会又は公平委員会に対して不服申立てをすることができる旨及び不服申立期間」を記載しなければならないこととされているが、その趣旨は、公務員が不利益処分を受けた場合の不服申立制度が極めて複雑であるため、処分を受けた者が不服申立期間を看過するなどしてその処分の当否を争う機会を永久に失うおそれがあることから、処分庁に対し不服申立の期間、申立をなすべき機関などを被処分者に教示する義務を課することによって公務員の身分保障を全うしようとするものである。したがって同条同項に定める事項が処分事由説明書に記載されていない場合には、被処分者に対する救済の道を事実上奪う結果となりかねない点を考慮し、当該処分の無効原因となるものというべきである。

ところが被告委員会が原告に交付した本件免職処分事由説明書には同条同項所定の事項についてなんらの記載もなされていなかったから、被告委員会の本件免職処分は無効であり、仮に、無効でないとしても、違法な処分として取消さるべきである。

よって、原告は被告委員会の本件免職処分が無効であることの確認を求め、仮に、無効でないとすればその取消を求める。

三、被告村長の認否

原告の請求原因一の(一)は認め、同一の(二)は争う。

四、被告委員会の認否

(一)  原告の請求原因二の(一)のうち(1)は認め、(2)は争う。

(二)  原告の請求原因二の(二)の(1)は認める。

(三)  同二の(二)の(2)の(イ)のうち、被告委員会が原告を含む五名の委員をもって構成されていたこと、下甑村教育委員会会議規則第四条に原告主張のような趣旨の定めがあること、昭和四三年一二月二一日の会議に原告および大毛委員が欠席したことは認め、その余は否認する。

右会議の招集通知は、同日午前一〇時頃から同日昼すぎ頃までの間に委員全員に口頭または電話によって、「(一)日時、昭和四三年一二月二一日午後三時、(二)場所、手打新栄館、(三)議案、昭和四三年一二月一九日開催の被告委員会の会議において決議された教育長不信任に伴う教育長の身分処置に関する件。」として行なわれた。なお、大毛委員には、かねて同人から届出のあった連絡先に電話で通知したが、同委員は宇治群島へ出漁中で不在ということであった。また、原告に対しては、同日昼過頃被告委員会の事務局長が原告の自宅に出向いて連絡したところ、原告は「自分に関係する案件だから出席しない。」ということであった。

(四)  同二の(二)の(2)の(ロ)のうち、地方公務員法第四九条第四項に原告主張のような規定があること、被告委員会が原告に交付した本件免職処分事由説明書に同条同項所定の事項が記載されていないことは認める。

同条同項は前示規定であり、同項所定の事項の記載を欠いても、処分の効力自体には何らの影響を及ぼさないものというべきである。

五、被告らの主張

被告委員会および被告村長が本件免職、罷免処分をした具体的事由は次のとおりである。

(一)  昭和四三年三月二六日、同年度の公立学校職員の人事異動について被告委員会の会議が開かれた際に、某委員から、県当局が内示した異動計画のうち下甑村立長浜小、中学校に関する分について、留任希望の長浜小学校の山形教諭が長浜中学校へ、鹿児島市へ転出を希望していた同小学校の山下教諭が鹿児島県薩摩郡宮之城町立白男川小学校へそれぞれ転出となっていること、数年来要望してきた長浜中学校へ数学科の有資格教師を配置する件が当年度も実現していないことはいずれも、被告委員会の内申と著しく相違するとしてその理由を質されたのに対し、原告は「これは県の行政措置であって私も知らなかった。」と述べ県当局との交渉経過についても一切の報告を拒否した。その後、山下教諭の転出問題について、白男川小学校では入学児童数の不足から複式授業に切りかえる必要に迫られていたので、偶々学齢期を迎えた子弟をもつ山下教諭が同小学校の複式授業回避のために利用されたという噂が現場教職員や村民の間でとりざたされ、村の教育行政に対して不信感を抱く者が現われた。そこで村議会においてもこの問題を重視し、同年六月の定例議会で取上げられたが、原告は単に「県の一方的措置だ。」という答弁を繰返すのみで、現場教職員らの動揺を解消する努力を怠った。

右のことから窺われるように、原告は独善的な性格の持主であって、事を処するにあたって同僚の委員と密接な連絡を取ってその意見を尊重しようという冷静で謙虚な態度がみられず、また、自己の言動について平然と他に責任を転嫁する傾向が著しい。

(二)  同年三月二七日、下甑村手打の「やまは荘」で開かれた校長、教頭の送別会の席上、原告は同席した校長らに対し、「教育委員は俺のことをいろいろいうが、長浜では、教育委員は馬鹿ばかりだ、といっているそうだ。議長や村長でも人事には介入できないんだ。宮議長や是枝教育委員に近寄るな。宮議長や是枝委員は能無しだといわれている。」というような趣旨の発言をし、他人の言にかこつけて他の教育委員や議長を誹謗し、更に、長浜小学校の上野校長に対し、「あんたは人事異動の時期に陣中見舞にもこなかったではないか。誰々校長はきたけれども。」というようなことを公然と発言した。

右のとおり、原告は極めて感情的挑発的な性格であって、村政にたずさわる他の機関、同僚委員、下部機関などと協調して教育行政を円滑に推進しようという態度がみられず、また、陣中見舞云々に至っては、見舞品を届けなかったことを非難しているようにも受取れる発言であって、教育長および教育委員としての体面を著しく傷つけるものである。

(三)  原告は教育長として同年四月七日、長浜小学校の上野校長に対し、「四月八日に教育委員会事務局に出頭するように。」と通知したが、後刻同校長から、「村内の校長、教頭会議のある四月九日ではどうか。」という問い合わせがあった際、「電話に呼び出すな。来たくなければ来なくてもよい。」といって荒々しく電話を切った。

このように原告は極めて感情的で傲慢な性格の持主である。

(四)  同年五月頃、被告委員会はかねて建設を予定していた長浜校区と青瀬校区の給食センター(共同調理場)の設置場所について、右各校区の区長、学校長の意見をきいたうえ青瀬校区内に設置するという決議をし、同月一三日、その旨被告村長に申し出たところ、村長は、「位置については校区の住民感情を重視しないと後で問題が起ると困る。区長と校長の意見だけでは不安だから今からでも十分に校区民に納得のゆくように啓蒙して欲しい。」と要望して被告委員会の案を了承した。しかし、原告は、最早や校区民を啓蒙する必要はない、として右のような村長の要望を無視し、何らの啓蒙活動をもしなかったところ、果して、長浜校区民の間に給食センターを他地域に設置することに反撥する動きが強まった。そこで村長や原告らが同校区民を説得するため、同校区PTA役員会(役員約三〇名、他に村議会議員五名出席)に臨んだが、原告は対立感情をむき出しにして、「父兄の意見は校長が代表している。校区民の意思は区長が代表している。校長、区長から了承を得ているので、手続上なんら手落ちはない。」と答弁しただけで、住民を説得することよりも自己弁護に終始した。このため父兄側を硬化させ、問題の解決を一層困難なものとしたが、原告はその後この問題に対して「敷地問題は村当局の責任だ。」として関知しないという態度をとり、結局村長の努力でようやくこの問題は解決した。

右のとおり原告には村当局や住民の意向を軽視するばかりか殊更これらと対決するような態度をとり、あるいは責任を回避する傾向が顕著である。

(五)  同年五月頃、原告は青瀬公民館長に対し、青瀬公民館補修費一〇万円の予算化を約し、村議会の議決はもとより、村当局との折衝もしないまま、同月頃、右の補修工事を施行させた。

右は村長の予算提出権や議会の議決権を無視したいわゆる予算の事前執行であって明らかに違法であるばかりでなく、他の機関との協調性をも著しく破壊するものである。

(六)、(1) 同年一〇月二一日、山下清治前村長との間で、一二月の定例議会の対策について話し合った際、同村長から紛糾している村の教育行政の正常化について種々意見を求められたが、原告はこの問題について何らの熱意も示さず、かえって、同村長が村の教育行政の進展をはかるため原告が自から辞任するまでの決意があるかどうかを原告に質した点を曲解し、「村長が、辞めよという権利がどこにあるか。」といって反抗的態度をとり、その後手打校区の村議会議員などの有力者に対して、「村長は俺に辞めろといった。村長は耄碌している。俺は辞めない。」などといって職務上秘密とすべきはずの村長の発言内容をふれてまわった。

(2) 原告は同年一〇月下旬から病気のため鹿児島市の自宅で約二〇日間療養したが、帰村してから隣家に住む山下清治前村長に対して挨拶するでもなく、以来庁内でも帰宅後も全く同村長と接しなくなった。このような事態を憂慮した被告委員会の前委員長橋口彬男は、原告と山下前村長との融和をはかるため、その頃原告を誘って村長室を訪れたが、原告は出張、療養を合せて約四〇日間不在であったのに、別段帰任の挨拶もなく、横を向いて顔をそむけたまま教育予算に関する村長の質問に対しても反抗的な態度を示し、同席した橋口前委員長や山下前村長を唖然とさせた。その後も本件各処分がなされるまで、原告は山下前村長を意識的に避けるような態度をとり続けたのである。

また、原告は事務局職員に対しても、これまでになく高圧的態度を示すようになり、従来事務局に預けていた自己の印鑑を取り上げたりしたため、事務の執行上も支障を来すようになった。

(3) 同年一二月五日青瀬南集館で開かれた教育委員会の会合において、原告に対する委員会の意見として「教育長は予算その他の事項に関して村長と十分話し合っていないようであるが、それでは教育行政を進めてゆくうえで不都合を生じると思うので、今後は村長と十分に話し合ってもらいたい。」という趣旨の要望がなされたが、これに対し原告は一言も発せず、その後もこの要望を無視する態度をとり続け、上級機関である委員会の意向に従わなかった。

(七)  同月一一日、青瀬中学校において教育委員と現場教職員との話合いがなされたとき、教職員側から、「県から指導主事を招いて教育研修の機会を増やして欲しい。」という要望がなされたのに対し、原告は言下に、「予算がないから出来ない。」と突っぱねるような答弁をした。そこで他の教育委員が、「先生達の意向も汲んで努力すべきではないか。」と発言したところ原告は、「ない予算はどうにもできない。」といって感情をむき出しにして同僚委員と対立し、教職員の面前で教育委員会の威信を傷つけた。

(八)  同月、原告は村議会の教育行政調査特別委員会に喚問されたが、その際原告は、「県の教育長会議があるのに自分はこの委員会に喚問されたため教育長会議に出席できなかったが、出席しないために生じる教育行政上の支障については誰が責任をもつのかはっきりしてもらいたい。」と昂然と議員らに喰ってかかり、また議員らの質問に対しても不遜な態度をとり続け、なんら反省する様子も認められなかった。

(九)  以上のとおり、原告には教育長および教育委員としての義務を遂行するうえで、他の意見を聞き入れるだけの寛容性がなく、自己の主張をどこまでも貫き独善的で、協調性がなく、しかも感情に走った言動をなし、自己の意見が容れられなければこれを敵視して対立し、また自己の言動に対しても責任を回避し、反省する態度がみられない等々、これらの事情を総合すれば、原告は教育長という職に必要な適格性を欠くものというべきであり、同様の理由により、教育委員たるに適しない非行事由があるものといわなければならない。

六、被告らの主張に対する原告の認否

(一)  被告らの主張五の(一)のうち、その主張の日に被告委員会の会議が開かれ、学校職員の人事異動について審議されたことは認め、その余の事実は否認する。

(二)  同五の(二)のうち、その主張の日、場所で校長、教頭の送別会が開かれ、原告がこれに出席したことは認め、その余の事実は否認する。

(三)  同五の(三)の事実は否認する。

(四)  同五の(四)のうち、その主張の頃、被告委員会においてその主張のような給食センターを主張の場所に設置するという決議をしたことは認め、その余の事実は否認する。

(五)  同五の(五)は否認する。

(六)、(1) 同五の(六)の(1)のうち、その主張の日に原告と山下前村長との間で話合いがなされたことは認め、その余の事実は否認する。

(2) 同五の(六)の(2)は否認する。

(3) 同五の(六)の(3)は否認する。

(七)  同五の(七)のうち、その主張の日、場所において教育委員と現場教職員との話合いがなされたことは認め、その余の事実は否認する。

(八)  同五の(八)は否認する。

(九)  同五の(九)は争う。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、原告が昭和四〇年一二月被告村長から被告委員会の委員に任命され、被告委員会から教育長に任命され、右委員の任期満了後引続いて、昭和四三年九月三〇日、委員に再任され、翌一〇月一日教育長に再任されたものであること、同年一二月二一日、被告委員会が地方公務員法第二八条第一項第三号に定める「その職に必要な適格性を欠く事由」があるとして、本件免職処分を、同月二四日、被告村長が地方教育行政の組織及び運営に関する法律第七条第一項に定める罷免事由があるとして本件罷免処分をそれぞれ行ったことは当事者間に争いがない。

二、そこで、被告らが主張する具体的免職、罷免事由の存否について検討する。

(一)  人事異動問題について

(1)  昭和四三年三月二六日に被告委員会の会議が開かれ、県教育委員会が内示した同年度の教職員の定期異動について審議されたことは当事者間に争いがない。

(2)  ≪証拠省略≫によれば、右期日の被告委員会の会議において、転任を希望していなかった下甑村立長浜小学校の山形助教諭を同村立長浜中学校へ転出させる旨の県教育委員会の内示がなされた理由について是枝委員から質されたのに対し、原告が「県の一方的措置である。」と答弁し、更に同委員から「教育長の知らない人事異動があるはずがない」として再答弁を求められたのに対しても同様の趣旨を述べたにすぎなかったこと、同年六月の村議会で、山形助教諭と同時期の定期異動で山下恵正教諭が長浜小学校から薩摩郡宮之城町立白男川小学校へ転出したことに関して、「山下教諭の転任には、白男川小学校における複式授業を回避するため、学齢期にある同教諭の子弟を同伴して赴任するという条件が付されていたと聞くが本当か。」という質問がなされ、更に同年一二月頃村議会の教育行政調査特別委員会でも山下教諭の転出について右と同様の質問が、山形助教諭の転出について、「人事異動について県が一方的行政排置をとったと解釈してよいのか。」という質問がなされたのに対し、原告が、山下教諭の転出については、「人事権は県にある。県にたずねるべきである。」と述べ、山形助教諭の転出につき、「内示までの段階で(県教育委員から村教育長へ)知らされるが、この件については県の一方的措置と解してよい。」という答弁をしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(3)  被告らは、原告が行った右の答弁は、原告が自己の言動について無責任であり且つ謙虚さを欠いていることを示すものであると主張するので検討する。

≪証拠省略≫によれば、山形助教諭の転出は、同人が中学校教諭の有資格者(保健体育科)でありながら、すでに一年九箇月余り長浜小学校に助教諭として勤務していたことから、これを本来の資格に応じた配置に改めるという県教育委員会の方針によって行われたものであって、別段原告の意見具申にもとづくものではなかったことが認められ、右認定に反する証拠はないから、前記認定のとおり原告が、山形助教諭の転勤は県の一方的措置であると述べたことには事実に反する点はないし、≪証拠省略≫によると、長浜中学校には有資格の数学担当教諭が配置されていなかったので、以前からP・T・A等学校関係者から、右中学校へ有資格の数学担当教諭配置の希望が出ていたにかかわらず、昭和四三年三月の定期異動においても、右の希望は実現しなかったことが認められるけれども、長浜中学校に数学担当の教員の配置が可能であったのに、原告がその折衝を怠って山形助教諭の同中学校への転出の事態を招いたというような事情があったことを認めるに足りる証拠はない。また、≪証拠省略≫によれば、山下教諭は、昭和四三年春の異動期に鹿児島市内の盲、聾唖学校または同市周辺部の特殊学級が設けられている公立学校へ転出することを希望していたのに、複式授業が問題となるような僻地ともいうべき白男川小学校へ転出することとなり、しかも県教育委員会、宮之城町教育委員会から、同小学校へ転出するについては、家族を同伴することを求められたこと、右のように山下教諭の転出先がその希望と相当隔りのあるものであったにもかかわらず、県教育委員会からの内示前に同教諭の意向の打診が行われなかったうえ、同教諭の妻の職業上、右転出先へ家族を同伴することは好まなかったにかかわらず、右転出先校の複式授業回避のため、家族を同伴せざるを得なかったことなどから、同教諭の異動については、少くとも右異動の内示があってから暫くの間は本人も、長浜小学校の同僚等も妥当でない人事が行われたという印象を受けていたことが認められる。

右認定の各事実からすれば、前記(2)認定の原告に対する各質問の趣旨は、山形、山下両教諭の異動に関して、原告と県委員会当局との折衝の経過、原告がとった措置について、具体的な説明を求めたものであったと解されるにかかわらず、原告が前記認定のような答弁を行ったに過ぎないことは、いささか不親切であるとのそしりを免れ難いけれども、さればといって、直ちに原告が無責任であるとか、謙虚さを欠いているとまでいうことはできない。

(二)  原告の「やまは荘」における発言について

(1)  昭和四三年三月二七日、下甑村手打の「やまは荘」で校長、教頭の送別会が開かれ、原告がこれに出席したことは当事者間に争いがない。

(2)  ≪証拠省略≫を総合すると、右送別会の席上で、原告が長浜小学校の上野俊太郎校長に対し、長浜では教育委員は馬鹿ばかり揃っている、もしくは長浜では教育委員は馬鹿ばかり揃っているという者がいる(右のいずれの趣旨のことを述べたかは認定できない)、自分は努力してまことに良い人事が行われたと思っている、しかし是枝委員や議長は俺を能なしだといっている、議長や是枝委員に近寄るな、という趣旨のことを述べ、更に、「おはんな、陣中見舞には来んかったおな。中村さん(手打小学校長)や山下(正盛)さん(長浜中学校長)は陣中見舞に来た。」と述べたことが認められ(る)。≪証拠判断省略≫

(3)  被告らは、原告の右認定の陣中見舞に関する発言は、上野俊太郎校長が原告へ見舞品を届けなかったことを非難する趣旨とも受取れるもので教育長、および教育委員としての体面を汚すものであり、右認定のとおり村議会議長や是枝委員を非難するような趣旨のことを村内学校長らの面前で公言することは、他の機関や同僚との協調性を破壊するものであり、いずれも原告が教育長、および教育委員としての適格性を欠く徴表であると主張する。

≪証拠省略≫によれば、昭和四三年三月二七日午前中に行われた原告から村内各学校長に対する人事異動の内示に先だち、是枝委員から前日山下恵正教諭の前記のとおりの転出先を知らされていた上野俊太郎長浜小学校長が、山下恵正教諭を伴って原告を訪れ、県教育委員会との異動人事についての意見調整作業が打ち切られる迄に、原告が山下教諭本人や学校長の意向を確かめなかった点についての不満を述べていたことや、前日の被告委員会の会議で人事異動問題について是枝委員から原告に対する種々批判的意見が述べられたことなどから、もし上野校長が、人事異動に関して県教育委員会と折衝のため鹿児島市に出張滞在中の原告の許に出向くなりすれば、異動の模様を知り得たはずであるという趣旨、および原告の努力に対して正当な評価がされていないという不満の表現として述べたに過ぎないものと認められ、これを覆すに足りる証拠はない。(なお、≪証拠省略≫によると、原告が鹿児島市に出張滞在中に、長浜小学校の山下正盛校長と手打小学校の中村校長が原告の許を訪れて、人事異動についての県教育委員会との折衝の模様を尋ねたことがあるが、その際見舞品の授受はなかったこと、原告と山下正盛校長の子同志が高校、大学を通じての同級生で非常に親しかったことから、両者間で盆、暮等に一般社会の慣行にしたがって、贈答が行われていたことが認められ、「やまは荘」における送別会後、村内の一部に、山下正盛校長と原告の間でいわゆる陣中見舞品の授受がなされたかのように噂されたのは右認定の山下正盛校長と原告間に私交上の贈答が行われていたことが誤って伝えられたものと考えられる。また、≪証拠省略≫によると、かつて原告が、校長会の席上で、交際費がたりないので県との交渉が思うようにできない旨を述べたことがあることが認められるが、右各証言によると、原告の右発言に対し、出席していた校長のうちから、交際費を醵出しようとの提案がなされたが、原告がこれに反対し、右提案は撤回されたことが認められることに照らすと、原告の右発言は、いわば原告の苦労話に過ぎず、別段交際費の捻出方を求めたものではなかったと認められる。)

してみると、前記認定の「やまは荘」における原告の上野長浜小学校長に対する発言は、その言葉のみを取上げてみると、被告ら主張のような趣旨に解されるおそれが多分にあるものであり、酒席におけるものとはいえ、そのような発言をしたことについて、原告は、軽卒であったとの非難は免れ得ないものといわなければならないが、前記の発言をもって原告が教育長、教育委員としての適格性を欠く徴表であるという被告らの主張は採用できない。

(三)  感情的な電話について

≪証拠省略≫によると、原告から上野俊太郎長浜小学校長に対して、昭和四三年四月八日に原告のところへ出頭することを求める通知があったが、同日は長浜小学校の年度初めの職員会議を行うことが予定されており、他方、翌九日には村内の校長、教頭会議が開かれることになっていて、上野校長もこれに出席するので、原告に会えることが予想されたので、原告のところへ出頭する日を同月九日に変更してもらおうと考え、同月七日(日曜日)、上野校長が、予ねて原告から知らされていた原告の電話呼出し先に電話し、原告を呼出してもらったところ、原告が、右の電話に呼出されたことに立腹し、これを叱責する感情を露にした応答をしたことが認められる。しかしながら、前記(二)認定のとおり山下教諭の転出に関して原告がとった措置に対して上野校長が批判的であったこと、および≪証拠省略≫によると、前記(二)認定の「やまは荘」における原告の上野校長に対する発言が、即日是枝委員、宮村会議長に伝えられ、これらの者の間に、原告の前記の発言について原告の責任を追及しようとする気運が生じていたことが認められるのであり、右の各事実からすれば、当時、原告に上野校長に対する不信感ないし不快感が生じていたであらうということは容易に推測されるところであり、このような状態にあった原告が上野校長に対して右に認定した程度の言動に及んだからといって、とりたててこれを非難するに値いするものとはいえないし、また、原告の教育長、教育委員としての不適格性の徴表ということもできない。

(四)  共同調理場建設に関する啓蒙運動について

昭和四三年五月頃、被告委員会において、かねて建設を予定していた長浜校区と青瀬校区の給食センター(共同調理場)を青瀬校区に設置するという決議をしたことは当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によれば右決議にさきだち被告委員会は長浜、青瀬校区の学校長および区長を集めて設置場所についての意見を求めたところ、被告委員会に一任するという意向を示したこと、そこで被告委員会において種々検討した結果青瀬校区内に建設することとし、その旨を村当局に申出たところ、当時の山下清治村長から、この種の問題は両校区民の間に感情的な対立を生みがちであり、その点で校長、区長の意見をきいただけでは不安であるから、長浜校区民の啓蒙運動をした方がよいと思う、旨の要望がなされたが、原告はその必要がないとして格別の措置をとらなかったこと、その後、長浜校区民の間から青瀬校区内へ給食センターを設置することへの反対運動が起き、教育委員の中からも啓蒙活動が必要ではないかという意見が出たが、原告は、校区民の代表である区長、生徒父兄の代表である校長の意見をきいてある以上、長浜校区民の意思をきいたことになり、長浜校区民の意思を無視したことにはならない、という見解(この見解が単に形式論理上のみでなく、実質的にも妥当なものであったといえるような関係が、区長、校長の意見と一般住民、父兄の意思との間にあったことをうかがうに足りる証拠はない)のもとに、長浜校区内の住民の賛意を得る方策を講じなかったため、村当局もこれを放置できなくなり、山下清治村長ら村当局が収拾にあたり解決をみたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、学校給食に関することは教育委員会の所管に属するから、給食センターの設置場所の決定も、これに関連する住民への広報活動も教育委員会の職務、権限の範囲に属するものということができ、行政事務の執行についてもできる限り住民の理解、協力を得て行うことが望ましいことはいうまでもないことであるから前記認定のような村長からの要望を受けながら、前記認定のように原告が何らの方策を講じなかったことは、その教育長としての職務遂行につき最善を尽したものとはいい難い。しかし、教育長たる原告に対して指揮監督権を有する被告委員会が、右の点について原告に対する具体的指揮を行ったことを認めるに足りる証拠がない以上、右の点について被告委員会が一方的に原告を非難することはできないというべきである。

(五)  青瀬公民館補修費の問題について

(1)  ≪証拠省略≫によれば、昭和四三年五月頃、青瀬公民館の補修工事(工費約二五万円)が施行され、同月中に完成したこと、この工事にさきだち青瀬地区の区長兼青瀬公民館長上江若盛から原告に対し同年一月前後頃と三月過頃の二回に亘り補修費の半額程度の補助金を交付してほしい旨、および梅雨前に補修工事を行いたい旨を申し入れたのに対し、原告は補助金交付の予算措置を講じることを約したが、同年六月の村議会終了までは放置され、九月の村議会前にようやく被告委員から村当局に右補修費補助金一〇万円の予算要求がなされ、その後右補助金交付の陳情書の提出、村議会による右陳情の採択等を経て、結局、右金額の補助金の交付が村議会で可決され、交付されたことが認められ、右認定を覆すにたりる証拠はない。

(2)  被告らは、右補修工事は原告の許諾にもとづいてなされたいわゆる予算の事前執行であると主張するので検討するに、前項((五)の(1))掲記の各証拠および原告本人尋問の結果を総合すると、青瀬公民館はもと青瀬地区民が同地区の青年クラブとして建てたものであって、その後青瀬公民館と称するようになったが、その管理は同地区民に委ねられ、村当局は直接にはその維持管理に関与していなかったこと、前記補修工事は村自体が契約当事者となったものではなく、また、右工事費について村が補助金を交付すべき法令上の義務を負うものでもなかったから、村自体は右工事によって直接にはなんらの債務も負担しなかったこと、もっともこの種の村の管理外にある公民館等の社会教育施設を修理したような場合には、関係地区民の申出によって村がその費用の一部を補助するのが慣例となっており、この補助金の交付に関する事務は被告委員会が担当することとなっていたこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すにたりる証拠はない。

右のとおり、村は前記補修工事によって直接には、法律上の支出義務を負わなかったのであるから、右工事はいわゆる予算の事前執行には当らないというべきであるが、前記のとおり原告は青瀬区長の要請に対し、補修費の補助金について予算措置を講じる旨述べていたのであるから、原告としては速やかに村当局に予算要求の手続をとるのが妥当であったといわなければならない。しかし、前記のとおり原告が青瀬公民館長上江若盛に対して補助金交付の予算措置を講じることを約束したことは認められるが、同人に対して補助金の交付までも約したということ、原告が右補助金交付の予算要求措置を故意に遅延させたということを認めるに足りる証拠はなく、≪証拠省略≫によれば、同人は昭和四三年当時村議会議員であり、青瀬公民館の補修工事を行った同年五月には、未だ右補修工事費に対する補助金の交付について村議会の議決を経ていないことを承知していたものであることが認められることなどからすれば、青瀬公民館の補修工事費に対する補助金交付の予算が村議会で議決される以前に右補修工事が施行されたことが、原告の村議会、その他の機関の軽視に因るものであるとはいえず、また原告の協調性の欠如を推認することもできない。

(六)  再任後本件免職、罷免処分に至るまでの原告と山下村長との関係について

(1)  同年一〇月二一日、当時の山下清治村長と原告との間で話し合いがなされたことは当事者間に争いがない。

(2)  ≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

前記の山下、山形教諭の転出問題を契機として、下甑村村議会に昭和四三年六月に設けられた教育行政執行調査特別委員会が、同年一〇月中旬に右転出問題、前記の原告の「やまは荘」における発言、青瀬公民館の補修工事の施行等に関する調査を行い、原告に対する村議会内部の批判が強まってゆく情勢にあったため、これを憂慮した山下清治村長が同月二一日に原告を招いて、事態の収拾策について原告の意見を求めたところ、原告は、右委員会が調査を行った問題のすべてについて、原告に非難されるべき点がないが、もしくは事実無根である旨を述べた。しかし、同村長は、山下教諭の転出問題および「やまは荘」における陣中見舞云々の発言問題については、原告にも何らかの責任はあるものと考えていたことから、原告が右のように全く非難されるべき点はないという考えであっては、原告が在任したまま事態を収拾することは困難であり、事態収拾のためには適当な時期を選んで原告に退任してもらう外はないと判断し、原告に対し、適当な時期を選んで辞職することを勧告したが、原告はこれを拒絶した。同村長は右辞職勧告の点は内密にしておくことを求め、原告もこれを諒承した。右会談の翌日頃から約二〇日間、原告は鹿児島市の自宅で内臓疾患の通院治療や静養をしたうえ帰村したが、帰村後の原告は同村長を意識的に避けるようになり、両者間の接触は公的にも私的にも途絶えてしまい、被告委員会の他の委員らから、右のような原告の態度の改善を要望されたが、これに応じなかった。他方、原告は知人らに対して、村長から辞職を求められたが、これを拒絶した旨話し、これが山下村長にも知れた。

右のように認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告が、山下前村長から辞職を勧告されこれを拒絶したことは、内密としておくことを諒承しながら、これを他に漏洩したことは、右認定のとおりである。辞職を勧告された者が知人にこれを打ち明けて意見を求めることはむしろ当然であるから、原告が、知人らに山下村長から辞職勧告を受けたことを話したこと自体を非難することはできないが、原告が話す相手方の選択、相手方から第三者への伝播の防止等その秘密保持について相当の注意を払ったことを認めるに足りる証拠がない以上、原告は山下村長との間で約した秘密を漏洩したことに対する非難を免れ得ないものというべきであるが、右の秘密漏洩は、職務上の秘密を漏洩した違法行為というには当らないし、また、原告の教育長、教育委員としての適格性欠如の徴表ということもできない。また、教育長たる原告が山下村長との接触を意識的に避けるようにしたことが、被告委員会、および村の行政事務の執行上支障を来すことは被告ら主張のとおりであるけれども、このような状態になってから本件免職、罷免までは未だ一ヵ月余を経過しただけであるうえ、前記(一)ないし(五)に検討したとおり、山下村長が原告に辞職を勧告した当時、村議会内で行われていた原告に対する批判は、正確な事実の認識に基かないもの、もしくは原告の教育長、教育委員としての適格性を問題とするに足りない事実に基くものであったのであり、したがって、山下村長が原告に辞職を勧告したことも、必ずしも妥当とはいえないことなどの事情を考慮すれば、原告が山下村長との接触を意識的に避けていたことをもって、原告が教育長、教育委員としての適格性を欠くものであるということはできない。

(七)  現場教職員との会合の際の言動について

(1)  昭和四三年一二月一二日、青瀬中学校において教育委員と現場教職員との会合が行われたことは当事者間に争いがない。

(2)  ≪証拠省略≫によれば、右会合が始まる前、被告委員会橋口委員長、是枝委員、原告、青瀬中学校長、同校教頭が集った席上、青瀬中学校長から、教育研修の機会を増やして欲しい、という要望がなされたのに対し、原告が、「予算がないから出来ない。」と述べ、この答弁をめぐって是枝委員と言い争いをしたことが認められ、これに反する証拠はない。原告の右答弁は、或いは簡潔に過ぎたといえるかも知れないけれども、特に問題とするに足りないし、また、言い争いになった原因が原告のみにあるとも認め難く、かつ前記のとおり会合参加の一般の教職員が参集する前に起きたことであり、被告委員会の体面を汚したものとも考えられない。

(八)  教育行政執行調査特別委員会における言動について

被告らは、昭和四三年一二月頃、原告が村議会の教育行政執行調査特別委員会に喚問された際に、調査委員らに対し敵対的な態度をとったと主張するが、これを認めるにたりる証拠はない。

三、右に検討したとおり、被告らが本件各処分の理由の存在事由として主張する事実は、いずれも単独では、他方教育行政の組織及び運営に関する法律第七条第一項にいう「職務上の義務違反、その他委員たるに適しない非行」に該当せず、また、原告が地方公務員法第二八条第一項第三号にいう「その職に必要な適格性を欠く」ことの徴表であるということができないものであり、また、二の(一)ないし(七)の認定事実および本件各証拠によって認められる原告の言動を総合して考えると、原告は、独善的とまではいえないが、その長期間に亘る教育実務によって培った学校教育、および教育行政に関する専門知識、能力についての強い自負心があり、教育行政の実情に疎い同僚の教育委員、村議会議員らに教育行政の実情やあるべき姿を理解してもらい、なるべく多くの支持を得て教育行政を推進してゆこうという意識がやや不足しており、また、性格的にも若干協調性や感情の抑制力に欠けていることが認められるけれども、右の点も原告が教育長としての職務を遂行するのに必要な適格性を欠いているとまではいえないし、また原告に教育委員としての職務上の義務違反その他の委員たるに適しない非行があったものともいえない。

してみると、被告委員会が行った本件免職処分は、その議決手続、および原告に対する処分理由告示方法についての瑕疵の存否について判断するまでもなく、地方公務員法第二七条に違反する違法な処分であり、被告村長が行った本件罷免処分は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第七条第五項に違反する違法な処分といわなければならない。

結論

以上のとおりで、本件免職、罷免各処分の取消を求める原告の本訴請求はいずれも理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺井忠 裁判官 松本光雄 富塚圭介)

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